災害・健康危機管理のためのメンタルヘルスと心理社会的サポート(MHPSS)
メンタルヘルスと心理社会的サポートに関する直近のプロジェクト
一覧健康危機・災害の発生時とその前後の心理社会的なマネジメント
実施期間
連携機関
代表研究機関: カーティン大学
主導研究者: Elizabeth Newnham
研究対象地域
総予算
背景
健康危機と災害はメンタルヘルスに大きな影響を与えます。災害に関連した心的外傷体験に加え、避難・転宅、死別、家財喪失などが重なることで、深刻な心理的苦痛を引き起こす可能性があります。世界各地で、心的外傷後ストレス障害、うつ病および不安症状の発生率が増加していることが、災害の影響を受けた集団全体で報告されています[1]。また、様々な文化における科学的エビデンスの蓄積により、多くの集団において、心的外傷が心理的、精神的、社会的表現などを通じて表出されることが示されています[2]。ほとんどの人において、悲しみと心的外傷の影響は時間とともに軽減しますが、災害後数ヶ月から数年にわたり精神的苦痛を経験し続ける人も多いことがわかっています[3]。災害経験が、長期的な心理的困難に関連していることが示唆されていますが、その影響が災害の種類や地域によって共通するのかは、まだ明らかではありません。
本研究は、健康危機・災害のメンタルヘルスへの影響について、長期的な経過と、それを緩和する要因を明らかにするために実施しました。また、介入の影響を測定する理想的なフレームワークについても探究しました。アジア地域は、気象災害、地象災害、技術的災害に頻繁に見舞われています。2020年には、世界で発生した災害の41%がアジアで起こっており、被災者の64%をアジアの人々が占めていました[4]。災害による被害がアジア地域で増大していることから、本研究では、アジアでの研究を調整するためにアジア太平洋災害精神保健ネットワークが設立されました。専門家による会合を開催し、地域に特有な研究ニーズとベストプラクティスを特定するためにこのネットワークが活用されました。
[1] Beaglehole, B.; Mulder, R.T.; Frampton, C.M.; Boden, J.M.; Newton-Howes, G.; Bell, C.J. Psychological distress and psychiatric disorder after natural disasters: Systematic review and meta-analysis. Br. J. Psychiatry 2018, 213, 716–722.
[2] Gibson, K.; Haslam, N.; Kaplan, I. Distressing encounters in the context of climate change: Idioms of distress, determinants, and responses to distress in Tuvalu. Transcult. Psychiatry 2019, 56, 667–696.
[3] Bryant, R.A.; Gibbs, L.; Gallagher, H.C.; Pattison, P.; Lusher, D.; MacDougall, C.; Harms, L.; Block, K.; Sinnott, V.; Ireton, G. Longitudinal study of changing psychological outcomes following the Victorian black Saturday bushfires. Aust. N. Z. J. Psychiatry 2018, 52, 542–551.
[4] CRED & UNDRR. 2020: The Non-COVID Year in Disasters. Brussels: CRED. 2021.
目標
本研究の目的は次のとおりです。
- 災害・健康危機後数年間のメンタルヘルスの長期的経過に関連するリスクと保護要因を特定する。
- 災害精神保健分野の研究における観察・評価に関するエビデンスの質を、「IASC(機関間常設委員会)緊急時における精神保健・心理社会的支援に関する共通モニタリング・評価フレームワーク」に沿って、評価する。
- アジア太平洋災害精神保健ネットワークを設立し、地域内のベストプラクティスを支援する。
研究手法
1. メンタルヘルスへの影響の長期的な経過
災害やパンデミックの影響を受けた集団における長期的な心的外傷後ストレス症候群(PTSS)、うつ病、不安症状を評価した研究を特定するために、英語と簡体中国語、日本語でシステマティック・レビューを実施しました。10の電子データベース、具体的には、CochraneとMEDLINE、ProQuest、APA PsycINFO、PubMed、Web of Science、CINAHL(英語)、CNKとSINOMED (中国語)、CiNii (日本語)を用いて、2000年1月から2022年5月に発表された研究を検索しました。レビューの対象とした研究の質を、Systematic Assessment of Quality in Observational Research (SAQOR)(観察研究の質の系統的評価)のスケールで評価しました。条件付き成長モデルを適用し、さまざまな年齢や災害の種類について、メンタルヘルスの経過を解析しました。各研究から、災害とメンタルヘルスの経過との関係を緩める危険因子と予防因子を分類し、有意な効果量もあわせて示しました。
2. IASC(機関間常設委員会)の枠組に基づいた介入の質的評価
このシステマティック・レビューでは、災害と健康危機におけるメンタルヘルスと心理社会的支援のための介入に関して、(枠組が発表された2017年が含まれることになる)2013年1月から2022年6月に発表された研究をOvidとMEDLINEのデータベースを用いて検索しました。介入の評価が報告されていない研究と、メンタルヘルスと心理社会的影響が報告されていない研究は除外しました。対象とした研究の質を、SAQQRのスケールで評価しました。災害や紛争、健康危機の性質、行われた介入の種類(IASCの介入ピラミッドによる分類など)、IASCのフレームワークに基づく評価の情報(結果や影響の指標など)に関連する情報を抽出しました。複数件出版された研究の報告内容の一貫性と、IASCのフレームワークで説明されているモニタリングと評価における具体的な基準と介入の結果との整合性を判断するために、記述的分析を実施しました。
結果
1. メンタルヘルスへの影響の長期的な経過
- 最終的に、234件の論文(英語206件、中国語24件、日本語4件)が組み入れ基準を満たしていました。
- PTSSの有病率は、どの年齢でも、災害・パンデミックの影響を受けた後、年月の経過とともに次第に改善しました。
- 一方、うつ病と不安症状の有病率は、被災した集団で高止まりしていました。
- 憂慮すべきこととしては、小児や青年のうつ病と不安症状の有病率は成人より有意に高く、それが長期間にわたって継続することです。
- パンデミックと地震は、PTSSの高い有病率と関連しており、産業災害とパンデミックは不安症状の高い有病率と関連していました。長期的な心理的問題と関連するマルチレベルの危険因子と予防因子が特定されました。
- 災害やパンデミックの発生後にメンタルヘルスの問題が慢性化することは、メンタルヘルスの持続可能なサービスが特に小児や青年に対して不可欠であることを浮き彫りにしています。
2. IASCのフレームワークに基づいた介入の質的評価
(現在進行・解析中)
- 2013年以降に発表された研究は35か国にわたっており、米国(n=10)と中国(n=8)から多く発表されていました。メンタルヘルスと心理社会的影響に対する介入のほとんどは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックにおけるメンタルヘルスと心理社会的影響に対処するために、または、長期化する紛争下で行われていました。
- IASCのフレームワークは、報告内容の一貫性を高めるための基礎となることがわかりましたが、出版物の間で結果の評価に著しい隔たりがあることも明らかになりました。IASCのフレームワークをよりうまく適用することで、人道的危機発生後のメンタルヘルスの問題を体系的に理解することに役立つ可能性があります。
アジア太平洋災害精神保健ネットワーク
- 災害時のメンタルヘルスに関する研究、実践、政策を、地域をこえて革新的に発展させるため、アジア太平洋災害精神保健ネットワークが2020年6月に設立されました。このネットワークには、各地域を代表する災害精神医学、心理学、公衆衛生の専門家が集まっています。
- このネットワークの初会合で、優先すべき5つの領域を記した災害時のメンタルヘルスの行動指針が作成されました。5つの領域とは、(1)地域社会との関わりの強化、および、メンタルヘルスと社会心理的な対応の計画・実施・評価への多様な視点の導入、(2)メンタルヘルス関連制度の災害対応力のサポートと評価、(3)メンタルヘルスケアにおける新興技術の最大限の活用、(4)気候変動がメンタルヘルスに与える影響への理解と適切な対応、(5)高リスク集団のメンタルヘルスと社会心理的サポートの優先です。
- このネットワークを通じて、地域における行動指針に沿った新たな研究プロジェクトの開始、一連のオンラインウェビナーの開催、若手研究者の研究プロジェクトの支援、災害時のメンタルヘルスの鍵となる課題(COVID-19パンデミック下での家庭内暴力の増加など)を強調した政策提言の策定が行われました。ネットワークのメンバーは、国際トラウマティックストレス学会年次会合(2021年)や国連防災グローバル・プラットフォーム(2022年)などの国際的な会合における協働シンポジウムやパネルで、各自の研究で得られた知見を発表しました。
世界的な示唆
メンタルヘルスに関するリソースは、低中所得国では不足しており、健康危機や災害の発生時および発生後は高所得国でも利用が困難になることがあります[8]。このシステマティック・レビューにより、災害やパンデミックからの生存者ではメンタルヘルスの問題の発生率が高く、メンタルヘルス関連の症状が被災後何年も続くことが明らかになりました。心理的な問題の発生率は、小児や青年でさらに高くなります。この知見から、災害やパンデミック発生後の初期対応の一環としてメンタルヘルスの政策や方針を実施するだけでなく、長期的なケアを生存者に提供するために、利用しやすく持続可能なメンタルヘルスサービスを確立することが求められます。メンタルヘルスへの影響の予防因子と危険因子を特定することで、地域社会をサポートするためにシステムを変化させるという重要な機会がクローズアップされました。
世界規模でのシステマティック・レビューの知見に加え、アジア太平洋災害メンタルヘルスネットワークの専門家による協議で、地域特有の研究に関するニーズが幅広く提案されました。地域に特有な研究ニーズに応えるという構想を拡充するために、さらなる尽力が期待されます。
地元関西にとっての意義
兵庫県を含む関西地方では、1995年の阪神・淡路大震災の教訓が原動力となり一連の改革が行われてきました。これには、(本研究プロジェクトにも関わった)兵庫県こころのケアセンターの設立も含まれており、ここでは震災生存者が長期的にモニタリング・評価されてきました。アジア太平洋災害メンタルヘルスネットワークの専門家による協議では、関西地域や日本での経験や知識に基づくさらなる研究のニーズが提案されました。このような地域特有の研究ニーズに取り組むことで得られる情報は、地域と世界の両方における政策や方針をより良いものとするのに役立つでしょう。
詳しくは、YouTubeの動画「World Mental Health Day 2022」をご覧ください。
出版物
- Newnham EA, Mergelsberg E, Chen Y, Kim Y, Gibbs L, Dzidic P, Ishida DaSilva M,
Chan EYY, Shimomura K, Narita Z, Huang Z, Leaning J. Long term mental health
trajectories after disasters and pandemics: A multilingual systematic review of
prevalence, risk and protective factors. Clinical Psychology Review. Vol. 97. 2022.
102203. ISSN 0272-7358, https://doi.org/10.1016/j.cpr.2022.102203. - Newnham EA, Dzidic PL, Mergelsberg ELP, Guragain B, Chan EYY, Kim Y, Leaning
J, Kayano R, Wright M, Kaththiriarachchi L, Kato H, Osawa T, Gibbs L. The Asia
Pacific Disaster Mental Health Network: Setting a Mental Health Agenda for the
Region. Int. J. Environ. Res. Public Health 2020, 17,
6144. https://doi.org/10.3390/ijerph17176144. - Newnham EA, Chen Y, Gibbs L, Dzidic P, Guragain B, Balsari S, Mergelsberg E,
Leaning J. The mental health implications of domestic violence during COVID-19.
Int. J. Public Health. 2022. 66. DOI=10.3389/ijph.2021.1604240. ISSN=1661-
8564.
ポリシーブリーフ
- Newnham EA, Dzidic P, Chen Y, Gibbs L, Guragain B, Wright M, Chan EYY,
Mergelsberg E, Leaning J. The mental health implications of increasing domestic
violence during the COVID-19 pandemic: Evidence and recommendations. Policy
Brief. 2021. World Health Organization Centre for Health Development. - Newnham EA, Mergelsberg E, Chen Y, Kim Y, Gibbs L, Dzidic P, Ishida Da Silva M,
Chan EYY, Shimomura K, Leaning J. Long-term mental health following disasters
and pandemics: Evidence and recommendations. Policy Brief. 2021. World Health
Organization Centre for Health Development.
発表資料
Panel: Newnham, E.A., Chan, E.Y.Y., Gibbs, L., Dzidic, P., Leaning, J. Responding to disasters:
Supporting communities to strengthen mental health after mass trauma. International
Society for Traumatic Stress Studies. 2021.
Symposium: Newnham, Gibbs, Mergelsberg, Kaththiriarachchi (2021). Psychological,
cognitive and academic outcomes for children and adolescents following disaster-related
trauma and adversity. International Society for Traumatic Stress Studies.
- Gibbs L. & Nursey J. (2021). Longitudinal academic performance for children in
bushfire affected school communities. - Mergelsberg ELP, Newnham EA, Kim Y, Gibbs L, Dzidic P, Chan EYY, Chen Y,
Ishida M, Shimomura K, Wong CS, Leaning J. (2021). Longitudinal mental health
outcomes for children and adolescents following disasters and health
emergencies: A systematic review of prevalence, risk and protective factors. - Kaththiriarachchi L. (2021) Salivary cortisol levels and cognitive functions of Sri
Lankan adolescents: A cross sectional study. - Newnham EA, Mergelsberg E, Gurgain B, Jiao F, Leaning J. (2021). Adolescent
resilience after disasters: An assessment of risk and protective factors in China
and Nepal.
ウェビナー
- Newnham, E.A., & Gibbs, L. (2021). Disaster mental health in the Asia Pacific
region. CCOUC Ten Year Anniversary Webinar Series. Hosted by CCOUC and Dr
Ryoma Kayano.